高校で不登校・引きこもりだった女子が、就活を前にこれまでの2回の挫折を振り返る。②

続きです。

 

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これが、私の一つ目の挫折、そして学んだことでした。
引きこもり不登校だったからこそ、周りの存在の大切さ、そして自分を幸せにする大切さを知りました。

 

2度目の挫折は、大学3年生のときでした。

これは、本当に数か月前のお話です。

大学に入ったばかりのころ、私は何か打ち込むものを求めて、(性懲りもなく(笑))大学の卓球部に入部しました。今度こそ、大学でも部活をやるくらいなら、本気でチームとして動く人たちが集まるだろう!そう考えていました。
入ってみると、男女の仲はギクシャクしているやら、女子の先輩は4年生1人(初心者)、3年生2人(強くない)+編入性(インハイ経験者)、2年生0人、1年生1人(私のみ)というカオス環境。そして、監督はおらず、顧問が誰かも分からない(この点は中・高以下でした(笑))練習も時間とやることだけ決めるので、各自でやってくださいという丸投げ。

 

環境としてはひどかったですね(笑)もっと厳しい環境を求めていたのに、やっぱり地方大学の部活だなあということを思い知らされました。
それでも、良い先輩に恵まれたので、一生懸命がんばっていきましたが、どこか女子内でも男子内でも部活全体でも、各自が本音で話せていない状態が続きました。それでも仲良しで、プライベートや恋愛ごとでは仲良く楽しんでいました。私も学校に行って暇さえあれば部室にいるという状態でした。仲良しでクリスマス会や誕生日会、飲みに行ったりなど、たくさん遊びました。でも、でも、それって馴れ合いなだけじゃないのかな。わたしたちは一番に試合の場で絆を確かめ合うものじゃないのかな。そう思ってもやもやしたまま、2年生になりました。

 

実質、女子部員は私のみ。なんという難しさ。そこに、編入性として3年生の県ベスト8まで行ったことのある先輩が、ツテで入部しました。けれど、この人が少し癖のある人で。
私は入ってほしいって言われたからやっているという感覚が強く、練習も「はるが行くなら行く」というスタンス。私の遊びに付き合ってくれているかのような状態でした。
それなら、辞めてしまえばいいのに、と思いながらも、実力はある、男子からも人気という中、どうしたらいいものか分かりませんでした。たくさん話し合ったりした結果、それでもうまくいかないことに気が付き、もともとなんのために部活に入ったのかを整理したところ、「チームとして部活を一生懸命にやりたい」という点だったのを思い出し、その夢が叶わないならと退部。(少し無条理だとは思いましたが、それでもなあなあで続けることよりはお互いのためになると信じての決断でした)

 

運命の出会いでした


そんなときに出会ったのが、あるNPOの団体。ここでは名前を伏せさせていただきます。学生にインターンシップを提供する活動を主としている団体なのですが、知人からそのインターンシップに誘われました。
最初は「めっちゃ怪しい(笑)」と思ってググったりしたのですが、話を聞くと割とまともそう。そもそもどんな団体なのかに興味を持った私は、知人のスタッフとしての活動に付き添わせてもらって、ミーティングを見学しました。

 

一言、こうやって1人1人の強みを活かしてチームとして最大の結果を出すために動くという環境、まさに私の求めていたものだ、と感じました。入る理由には申し分ない、決心はその場でつきました。
「うちの団体は辛いよ、それだけは覚悟できるかい?」と何度も言われましたが、むしろ辛くない状況って本気じゃないんじゃないかって、経験上思ったので。「辛いことをしたいんです」そう答えたのを今でも忘れられません。
(後日たくさんの人に「ドMなの?w」と突っ込まれましたが、それこそ、チームは簡単にできないからこそ、辛いことを乗り越えた先にあると分かっていたので、「もうそれでいいよ!」と笑っていました(笑))

 

高校の部活でも大学の部活でも、メンバーのことは大好きなのに、馴れ合いになってしまって本当のチームになりきれていない、その悲しさに自分の無力さを感じていました。また同じことを繰り返しているな、と自己嫌悪もしていました。
けれど、この団体に出会って、仲間の存在の大きさを知って、チームの素晴らしさを体感しました。


私が入った時期が区切りの悪い途中の忙しい時期だったので、基本的に仕事がなく放置状態で、自分としてもいることが辛いときもあったのですが、それでもたくさん連絡をしてくれたり、仕事を絞り出して与えてくれたり、忙しいはずなのに不安なことや聞いてほしい話を親身に聞いてくれたり、一緒に仕事しよう!と会う約束をしてくれたり、コミュニケーションとして泊まりに来てくれたり。チームを体感させてくれました。

 

なによりも、当時の私の所属する支社のトップが、「俺は誰一人、見捨てない」と言い、まさにそれを体現する方でした。私の人生を変えてくれた恩人です。
今まで、高校部活でも大学部活でも、部長から見捨てられてばかりだった私は、ミーティングで彼がそう言ったときに、ひっそりと泣きました。その覚悟の重さ、大変さが分かるからこそ、受け取る側がどれだけ嬉しいものか。本当に、心から「この人に出会えてよかった」と思いました。
ここでは、本気になっていいんだ、本気になれる団体なんだなあ、そう思えました。当時の輝きは今でも忘れられません。私の生きる糧となっています。

 

悲劇ではなく喜劇を


それから、時が過ぎ、上の層が抜け、新たに下の層が入ってきました。代替わりですね。新しいメンバー、新しい環境になってからは、ばたばたした毎日でした。もともと、この時期は経験値の低いメンバーしかいない状況になると分かっていたので、覚悟はしていたのですが、それでもまだ全体の流れすら見ていない経験値0の私が、少し早く入っていたという理由だけでついていくのは無理なことでした。少し、頑張りすぎていたなあという振り返りがあります。他人に頼るのが下手だったんですね。

 

そんなこんなで、新たなチームは他人に頼るのが下手な人が集まったかのようなメンバーでした。そこで、本音で話すことの難しさ、チームでいることの大変さを改めて体感しました。少し前が嘘だったかのように、どうしたらいいのか分からなくなっていました。それは、私個人の話ではなく、このメンバー内で起きていた事実で、私はどうしてもそれを変えたいと思いました。「もっと、私たちは寄り添えるはずだ、そんな奇跡を私は教えてもらったから、だからこそ、このまま悲劇にはしたくない」、そんな覚悟でした。
けれど、まだ仕事自体うまくできない私は、結果主義の今のメンバーに気持ちを伝えるのを戸惑ってしまいました。私こそが、怯えてしまった。相手を受け入れたいと言いながら、拒絶されることが怖く、自分を開示できなかったのです。本当に自分の弱さを感じました。そして、それからは、何もかも捨てよう、全力で立ち向かおうと決めました。

 

この事件以降、私はプライドも捨ててなんでもやったし、理不尽でもたくさん謝ったし、非のない責任もたくさん背負いました。相手を拒絶することだけは、絶対にしないと、身を投げたしました。
けれど、状況は悪くなる一方。トップは情報を開示せず上層部だけで判断・決断がいつの間にか行われている状態で、流れについて来れない人は切り捨てる、どんどんそんな環境になっていきました。

 

 

私は、仲間ってなんだろうと思いました。腹の底を探り合うことが、仲間なの?相手を都合良いように動かすのが仲間なの?ついてこれないのはすべてその人のせいだとすることが、仲間なの?

そう思ったときに、この仲間を切り捨てる環境に身を置いていたら、私自身が壊れてしまう、素直にそう悲しみを持てました。一つ目の挫折で学んだように、私は一人では生きていけない、今いるのはたくさんの人の愛によって生かされている、だからこそ私は幸せにならなくてはいけない。そう思い出したときに、素直に辞めようと決断できました。

この団体について悩むことで、バイト先の人にも迷惑をかけ、学校にも行く気になれず、親にも友達にも心配をかけてしまっていました。まずは、そういう私を大切にしてくれる人を大切にできないのであれば、私を大切にしない人のことすら大切にできないと思い、もっと支えてくれている人に目を向けようと思いました。

仕事をしていく中で、目の前の人を幸せにできない人がまだ見ぬ人を幸せにすることはできないということを実感しました。目の前の仕事をこなせない人が夢を語る資格がないのと同様に。だからこそ、しっかりと現実を見据えることを、私は学んだことを、仕事ではなく人生にアウトプットしてもいいのではないかと考えたんです。

ここから、新しい人生が始まりました。私は、私のやりたいことをする人生にしなくてはいけない、そう思い、すべてを整理しました。

まず、持ち物から、断捨離を行いました。参考にしたのは(後日流行っていると知った)ミニマリストの本だったのですが、「今、必要でないものは、いらない」という考えのもと、家の中のものを半分ほど捨てました。それと同時に、思考の面でも、エッセンシャル思考を学びました。自分にとって何が大切なのか、どうしても全部を選ぶことができないから、「より少なく、より良く」という考えのもと、より最大幸福である選択はどれかを考え、他を切り捨てるようになりました。

どうして私はこんなに苦しむのか

これが、ここ一年間の流れでした。団体を辞めてからはもうすぐ4か月が経とうとしています。

ただ、いまだに、団体のことが忘れられません。ずっと苦しみました。私は、どうしたらよかったのだろうと考えても時は戻らないし、あの場での私にとってのベストな選択だったと思っています。そう考えて進んできました。でも、どうしても苦しいんです。

たくさん苦しんだ結果、分かったんです。理屈じゃなくて、無理だったとしてもそれでも私は、もっと、頑張りたかった、仲間を見捨てたくなかったんだと。

結局は、理由をつけて逃げたかったのです。自分の無力さを証明したかったのです。逃げることが悪いとは思いませんが、本当にしたかったことではなかったのでしょう。

「もうこれだけがんばった、それでも私はダメなんだ、だから許して」と、誰かに問いていたような気持ちでした。

だからこそ、もう環境のせいにして逃げないと決めました。私は、無力かもしれないけれど、それでも、どうにかしてみせる、そんな覚悟を絶対に持って逃げないと、絶対に仲間を見捨てないと、心に誓いました。

これが、私の二つ目の挫折と、学んだことです。

仲間を見捨てた私は、どんなに理由があっても無理だとしても無力だとしても、血反吐吐くまで絶対に仲間を見捨てない人になる覚悟が、自分の中に生まれました。

最後に

結局、何を伝えたいのかと言われると、正直自分でも整理しきれていないのですが...。

挫折って、すごくつらいと思います。人生が変わるレベルの話だと思います。けれど、挫折から立ち治るときは、必ずそれを支えてくれる人がいるはずなんです。私の場合は、1度目は家族や友達、先生など、2度目は最初の時の仲間の存在と、私を心配してくれた友達や周りの人など。人間関係で挫折したとしても、それを救ってくれるのもまた人なんです。

だからこそ、もしあなたが挫折に苦しんでいるのであれば、一人で抱え込まないでほしい。

一人で乗り越えなければいけないなんて挫折はないと思います。絶対に。だから、無理はしないで、誰かと一緒にゆっくりでいいから、挫折を受け入れられたら、それでいいと思うんです。

一人でも多くの人が、人の優しさに救われますように。

 

 

 

 

 

まる。